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ポストロック・デイズ/post rock days

一般的にポストロックと呼ばれている音楽を中心に 音響・テクノイズ・エレクトロニカ・アンビエント・ミニマル・フリーフォーク・アシッドフォーク・サイケ・アヴァンギャルド・民族音楽などを紹介

ちょっと、変わったジル・ドゥルーズとの出会い~スキゾ。リシャール・ピナス~

ポストモダニズムの主要な哲学者の一人、ジル・ドゥルーズGilles Deleuze。哲学なんて聞いて、「???」と思っていた私が、彼を知るきっかけの一つが、リシャール・ピナスRichard Pinhasというフランス出身バンドであるエルドンHeldonのギタリストでした。↓下記の特別編集版なるCDにドゥルーズ自身が、朗読で参加しているのです。それを知ったときちょっと、笑いが止まりませんでした。というのも、大学の図書館にあった『差異と反復』という本を、装丁が良かったからと言う理由で、借りて読んでみたところ、ちょっと難しくて厳しい本という印象を持ちました。なので、その作者もやたら気難しい人なんだろうな、なんて、かるーく、思っていたからなのでした。
 そんな矢先に、ポエトリー・リーディングで、フランスのロックバンドに参加!なんていう、やんちゃな行動に、少しほっとして、イメージしてたものとのズレから笑いが止まらなかったのです。そんな音楽がきっかけという変わった出会いをしたドゥルーズと私でした。

 さてさて、リシャール・ピナスを語るときに、この編集盤を取り上げるのは、彼の最高傑作というわけでは無いという点で、良いとはいえないのですが、ドゥルーズとの絡みが気になったもので、そんな視点から眺めてもよいかな、と思った次第です。

 昨年のことですが「ドウルーズ・アナロジック」なるイベントがあり、リシャール・ピナスが来日して、レクチャーを行ったようです。ピナス氏は、学生時代から、ジル・ドゥルーズの生徒でありよき理解者(友人)であったという話があります。残念ながら、私は聴講することができなかったのですが、「時間と音楽」というテーマで語ったようでかなり興味を惹かれますね。

 ピナスの音楽(エルドンにおける)は、シンセサイザーを用いた反復フレーズをバックにして、ギター、ドラムが自由に被さるというスタイルでした。ドゥルーズは、反復という言葉を使います。反復といえば、同じ行動をひたすら繰り返すという、〝同じ〟を何度もするという不毛な状態のことのようですが、そうではなくて、あらゆる物事が、同じに感じれても、同一であることは無いという考えです。厳密に同一の反復が無いというのは、言語の使用から見れば、例えると毎日、仕事場で働きますね。それで、時折、「あーまたコレか、毎日、こればっかですよ。」と思ったとしますね。それは、事務処理がその「またこれか…」の仕事だとすると、それを〝事務処理〟という言葉と、仕事の具体的な内容を結び付けようとする。つまり、概念と言葉(単語)を結びつけて、同じ事として扱うことによって、そんな、「同じでつまらん。」という感情が生まれるというのです。

 今、説明したような、同一性はいたるところに溢れています。そもそも、近代の精神自体が、その同一性を根底に据えているのです。近代の精神は、主体性を非常に重んじていました。ドストエフスキィの小説などもそうですね。主人公からみた世の中が、じっくりとした(現在から見れば)スローな視点でもって、重々しく描かれています。〝私〟がみた世界。つまり、主体性を根本原理としているからです。そのような、主体性がどうして成り立つのでしょうか?時間の観点から見た場合、例えば、「今」と私が言ったとしますね。今といった瞬間に、その時間は流れ去り、もう先にいっています。つまり、イマ、ココにいるなんて事を言おうとしても、厳密には言えないのです。でもこれでは、過去、現在、未来という三つの時間軸の概念が不成立になってしまいますね。それではマズいから、「今」といった瞬間から過ぎ去った時間を含めたある程度の距離のある時間を、現在と、同定して、概念(人の理性、意思)でもって固定する必要があるわけです。それによって、安定を得ることが可能なのです。
 が、それに対して、ドゥルーズが投げかけた、「厳密には同一の反復が無い」という思考は、この、安定、均衡を、ばらばらにしてしまいます。このように、同一性の屋台骨のもとにある物の差異が捕らえられないとすれば、かなり、混乱というか錯乱状態になってしまうと思います。なんてったって、すべてのものが違うとすれば、言語も通じなければ何もかもバラバラで無秩序、さながら、狂気の奔走状態なんですから。なので、まぁ、一応、そんな常識の範囲にまで、この考えを注入することは慎重に行わねばなりませんね。これが、音楽に移れば、同一フレーズを反復するミニマルな音楽が、単なる繰り返しであるのではなく、一つ一つ、意味を持った感覚を、私に与えるのかもしれません。テリー・ライリーやフィリップ・グラス、ウィム・メルテン、らのミニマル・ミュージック、そして、エルドン(リヒャール・ピナス)にもこれらの不均衡、不安定、非対称性が表現されていて、根底にはドゥルーズ的思考が横たわっているのかもしれません。

 もう少し、突っ込むと「微粒子」という考えがあります。人間のもっとも小さい構成要素にDNA塩基、そして、物質の最小でもある原子。それらは絶えず、その場に止まらず運動を続けているといいます。そう、つまり原子こそが固定点が無くさまよい続けるノマド的行動の根源であるというのです。原子は、ヒトの視覚(感覚器官)によって認識することはできませんよね。そのような不可視の存在である極小な粒子が世界空間を飛び回っているのです。そこでは、あらゆる意味が解体され、捉えようとした瞬間に次に移っているわけです。ヒトの思考の原理もまたそうだと言いたいのでしょう。

 この、微粒子概念は、音楽においても、ヒトの聴覚では、把握しずらい(覚えずらい)メロディ(メロディとすら呼べないもの)のある複雑系やカオス論を応用した曲の成立に一役かっているのかもしれません。リシャール・ピナスの現在のライヴにおいても、記憶することを退けるような、マッス(音塊)としての音響が表現されているのもその為でしょうか。↓

■Richard Pinhas at Highways 2007 6 24 最近のピナス。


■ドゥルーズ参加の編集盤。参加当時のバンド名はスキゾ。。時代の音楽流行とピナスの変遷が聴けます。





■最近のはこっち。今度じっくり解説したいなぁ。




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テーマ:音楽的ひとりごと - ジャンル:音楽

  1. 2008/11/29(土) 04:57:28|
  2. .▼フランス・プログレ Richard Pinhasリシャール・ピナス
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